選手権優勝の野洲高校のメンバーの多くはセゾンFC出身者。そのセゾンFCの監督の岩谷篤人氏は野洲高校サッカー部のコーチ。選手権の野洲高校のサッカーに感激し、セゾンの指導を取り入れたいと思う指導者は全国にけっこういるとは思うが、セゾンFCのオフィシャルホームページ、「KOOJIMCのまぁ言うたらブログですわ。」を見ても、セゾンがどんな指導をしているのか、あまりよくわからない。
『サッカークリニック』97年5月号に田中館哲彦氏による8ページの特集記事があるのだが、この記事を読んでも、いまいちよくわからない。読んだ印象としては、やっているメニューそのものは、特別変わった内容ではなさそうだが、コーチングがかなり独特。セゾンの指導をマネするのはかなり難しそう。
ちなみに、この記事が出た当時にあったジュニア部門(小学生)は、現在では週一回のスクールのみ。
小学生は、火、木、土、中学生は水、金が通常の練習日。夕刻の5時、あるいは6時から始まり、8時半から9時の間に終わる。
岩谷監督はいう。
「指導者として一番いいのは30代の、勉強も一生懸命し、新しいものもどんどん吸収できるときじゃないかと思います。年をとるとどうしても自分の枠、型にこもる傾向が出てきますからね」
コーチとしては「何かすごいプレーができるやつ」がいい、とも。
「子供がそれを見ていつかは自分も、と夢を、意欲をかきたてられますからね」小学生━低学年はミニゲーム、ボールゲームなどが主体。
高学年は、ヒールキックやシュート練習、「1対1」「2対2」やミニゲーム(7対7)などだった。見て、ふーむ、と思う。その内容が大人と変わらない高度なものだったからである。たとえば「2対1」。ボールを浮かせたり股間を抜いたりする。そこには「寄せられたときにどうするか」というイメージがある。ヒールキックの練習にしても然りだ。監督、コーチは子供たちのなかにはいって一緒にプレーしながら声を飛ばす。
1対1━「周りをよく見ていれば抜ける、パスを出せる、ってことだからな」
「○○、周りはよく見てるけど、足のフェイントをかけなきゃ!」
これなんかは逆に、大人でもできないプレーである。
6対6━「取られるなよ、取られるなよ。パスしなきゃ取られちゃうよ」
「冷静に、冷静に!」
ミニゲーム━「いつ、どこに、どんなボールを出すか(相手に)わかんないように、わかんないように!」
「後ろを向くときは抜くときだぞ」
「いつも後ろのことを気にしてやれよ。前のほうはわかってんだから」
「(ボール)取られちゃダメなんだよ、取られちゃア!」
さらに、ボールはもう一個入れられて、計2個になる。その2個が入り乱れてのゲーム。「つねに周りを把握する能力の養成」である。見ていて内心、感嘆する。パスミスを驚くほどしないのである。みんなよく走るし、よく相手のウラに走りこんでいく。130センチそこそこの小さい子も巧い。ショートパスだけじゃない。ロングパスも正確に出す。この練習のなかに同クラブの“エキス”言い換えれば、“岩谷サッカー”の指導采配というものがほの見えてきた。その起点、考え方は、「ボールを相手に渡さない」にあるようである。
「一番いいのはDFからゴールまでボールを渡さないでたどり着くことですからね」
だから、DFがタッチに逃れたりボールを前方にけり出したりするだけのプレーを戒める。それでは「サッカーではなくなる」ということになる。「ですから、目指すは一つ。パス・エンド・ゴー! なんですわ。DFからつないていく。それをやらない子はゲームに出さない」
なぜ、「出さない」ことになるのか。勝ち負けを考えてるからではない。
「だって、それをやったらその子が巧くならないですもの」
ここには岩谷監督の“子育て”の基本理念がある。
「ですから、うちのサッカーはいたって単純なんです。つなげ、抜け、ウラをとれ、ってだけですからね」
こともなげにいう。そして、そのためにどんなことが大切になるか。
「周りをよく見ろ。周りをよく見て、いつ、どこに、どんなボールを出すか考えろ」
ということになるわけである。しかし、その際、「ここそこを狙うんだよ」などという具体的な指摘はさける。それは子供たちの自由な判断に任せる。大事なのはとにかく、「とらえ方なのだ」と。
さらに、練習中に監督のあげた声が甦ってくる。
「首、手、膝、足首、みんなバラバラに動かしてやれよォ」
左右、後ろの動きを見るには首だけ回せばいい。背後へのパスも顔は横や前を向いたままでやれる。右を向いたまま左でパスを出せるなど。
「よく、少年時代は基本をすればいい、ボールを思ったようにけれ、止めれるのが大事だ、っていわれますよね。でも僕からいわせたら、首、手、足首などをいかにバラバラに動かせるか、ってのが考え方の基本、ベースになりますね」
どれだけ重視しているかがわかろうというものである。
「こういうことは懇切ていねいに説明します」
岩谷監督の描くサッカー、プレースタイルに子供と大人との“境界線”はない。そのことを次のように言い表す。
「子供もちゃんとしたサッカーをやれる、ということですね。パス・エンド・ゴーのサッカーが」
つまり、サッカーの基本。
「大人とはスピードとかパワーとか精神面で違いはあってもね」
ボールさばきのテクニック然り。
「複雑なことは無理ですが、基本的に大人と同じことをやれます」
大人との違い。象徴的にはどこにあらわれてくるか。まずはなんといっても、
「広いスペースを使えないってことですね。おもいっきりけってもせいぜい20メートルから30メートル。でも、それじゃコントロールが悪くなりますからね」
そういう点からしても子供の命題は「第一に球のつなぎになる」と。
「ですから、練習も狭いところからいかにボールを出していくか、ということになるんです」
いい添える。
「日本のサッカーは狭いスペースの突破が下手ですね」
と同時に次のように考える。
「日本が世界に勝つには“10メートル勝負”を挑まなきゃダメなんですよ」
外国人選手━とりわけ黒人にはスピード、パワー、ジャンプ力などではかなわない。
「やはり限界があると思います。だから、広いコートを使われれば苦戦は必至。狭い地域で自分たちの型にどう持ち込むかなんです。狭い地域の上手な選手が揃わなきゃ、と思います」
技術、センス、せこさ。せこさを言い換えれば判断力、身体的には俊敏さ、鋭さ。対世界を考えて勝負できる要素を監督はあげる。“10メートル勝負”となれば、たとえば足の速さでも対応できるのだとも。
「サッカーで50メートル競走なんてのはまずないわけです。で、10メートル勝負なら50メートルでは負ける者でも、スタートが速ければ勝てる可能性がぐんと出てくるわけです」
「ですから、僕は子供たちにもいうんですよ。サッカーで大事なのはスタートの速さなんや、タイミングをとる速さなんやて」技術も、ゲーム練習のなかで磨いていくことを基本にしている。
「あくまでも相手あってのプレーですからね。実戦形式のなかで少しずつ巧くなっていくし、変わっていきますよ」
サッカーのベースは敵に当たらずにいかにボールを運ぶかにある、と。
「その子によって、それができれば、どんなけり方でもいいわけですよ」
個性(センス)に持ち味。
「とはいっても、だんだん共通する点が出てきますけどね」
ヘディング、トラップ、ドリブル、ロングパス、ヒールキック、ツータッチ、シュートなど、それぞれの練習は、
「あくまでボディーバランスとしての、体を動かす練習」
という位置づけになるようだ。
「精度を高くするというのは、それは教えるということではなく、どれだけ多くけるか、ということになりますからね。そしたら場所と時間さえあればいいわけですか。あと、やる気だけあればいいことです」
かつては、タッチならタッチのあり方とか、あるいはコーンを立ててのドリブルやキック、パスなどいろいろやっていたという。クラブをつくった当初には、ドリブル・スピードとか50メートル走とか種々の項目を立ててテストし“能力級”をつくったり、リフティング・ランキングなどもつくってやっていたと振り返る。
「親が自分の子がどれだけ上手になってるかわかるようにしたほうがいいかな、という思いもあったんです。でもランク仕立てのようなことは2年くらいでやめました。そんなのにしばられるのはやめよう、って」
大事なのは、サッカーというゲームのなかでどう動き、どんなプレーをするかにある。それはすべての、極端にいえば無制限の要素のからまった、トータルな一つの力となって具現されることである。だから、思わぬプレーも生まれれば〔え、この子がこんなプレーができんの!?〕というプレーも見れることになる
「どんなテストを考えだしてみたところで(一人の子を)測ることなんてできないですよ」
それどころか弊害さえ生みかねないことになる。テスト━それは「比較論」にも陥っていく。あの子よりできる、この子よりできないと。そのなかでもっとも大事なものを見失っていくことにもなるのだ。サッカーの楽しさを。いや、そこまでいかなくても自身の「夢」を。どんなプレーヤーになりたいのか、どんなサッカーをしたいのかなどを。クラブは大別して、小学低学年、同高学年、中学生の、各編成になる。小1〜小3に対しては、「ボール扱いはできるだけ誘導するみたいな感じでやります。試合をしたら〔勝とう〕と思ってくれること。この年代の素朴な気持でね。そして、練習も試合もムチャムチャせんようにすることですね」
小4〜小5は「いろいろ教える段階ですね」
中学生においては、「自分で考えろ、が基本ですね。考えてわからなかったら聞きにこいと」
以前は違ったという。中学生に対しても「私は熱心な指導者でしたからイチイチ細かに、ていねいに教えていました」と述懐する。その方針を変えたのだ。なぜか。
「懇切ていねいにやっていたら温室の中で育つことになりますから」12日夕刻6時、中学1、2年生、4月に中学にはいる小6のメンバーたちが集る。ツータッチやロングパスなどで30分ほど費やしたあと、ミニゲーム主体の練習にはいった。「7対7」。ゲーム時間はとくに決められていない。
その最初のゲームだった。わずか3分ほどのところで岩谷監督はストップをかけた。彼らを集めていう。
「何を考えてやってるんだ。時間のムダだよ。自分たちで何をやろうとしているのか話し合えよ。(ゲーム)はそれからだ」
と、すぐに次の組に切り替えた。各ゲーム終了のたび、監督指示のミーティングがもたれてはゲームが繰り返されていく。時折、監督の声が闇を飛ぶ。
「ボールを持ってない者、どうするか考えろよ!」
「ドリブルはいつでもパスできるドリブルじゃなきゃダメだよ!」
「そら、その次のパスをどうするかだッ。2本先のパスを考えてパス出せよォ!」
1時間半ばかり、ずっと見て感心させられたことがある。たとえば、縦パスやタッチに逃げるプレーが皆目見られなかったことである。また、ゴール前に詰め寄ったとき、傍目から見て〔打てるかな〕と思っても、いい形、これならいけるという形になるまではシュートを打たないことである。あるいは、ドリブルで長い距離を走るプレーが見られなかったことである。徹底した球回し。11人サッカーのプレースタイル。セゾンFCのサッカーが伝わってくるようだった。田中館哲彦「全国有力チーム練習ルポ セゾンFCジュニア、ジュニアユース『サッカークリニック』1997年5月号、82、83、84、85、86、87頁


