若年層の指導の場でオーバーコーチング(教えすぎ)が問題になって久しい。このオーバーコーチングはいつごろからおこなわれるようになったのか。
オーバーコーチング(教えすぎ)は90年代半ばからはじまった説
日本サッカー協会が、コーチ向けのマニュアルである「強化指導指針」を打ち出したのは96年。当時、大熊ジャパンの選手たちは12〜13歳で、いわゆる「ゴールデンエージ」の真っ只中だった。自由な発想力を育てるべき時期に、マニュアル中心の指導がなされたために、オーバーコーチングを受けた弊害が出てきたのだろうか。いずれにせよ「自分で考えて、何かを打開しよう」という気迫、たくましさが、この日の彼らからは伝わってこなかった。
ライターの元川悦子は、協会の「強化指導指針」ができた96年から、若年層の指導の場でオーバーコーチングが行われるようになったと思っているようだ。
市立船橋高の布啓一郎監督(U−17日本代表監督)は、同じく、最近の子どもたちに個性がなくなってきたとの思いをもっており、持論をこう述べた。
「指導者のレベルアップをするためにコーチングスクールや指導者講習会でサッカー用語を統一したりとか、それまでみんなが何となく思っていた概念を、視野の確保、プルアウェーなどの言葉を使い、共通の理解でやることで指導者のレベルアップをしていこうという部分では、共通言語を浸透させることは必要だった。だが、レベルアップされたはずの指導者が選手に教えすぎて、クリエイティブが大事だ、といいながら、選手の想像力を消してしまった面も否定できない。用語の統一は絶対に必要なことだったが、今は、技術、戦術論にゆきすぎてしまっているのではないか。サッカーは技術、戦術プラス、フィジカルやメンタルもトータルに鍛えていかないといけない。かつて、日本のサッカーは精神論が幅を利かせていた。Jリーグ発足のころから、軸を技術、戦術のほうに持っていった。だが、今度は逆に軸が技術、戦術の方に傾きすぎてしまった。ここでもう一度、戦う気持ちというものを見直してやっていかないかればいけない。現在は、軸が個性をなくす方向に傾いているのかもしれない。日本はプロリーグが始まって10年。まだまだ試行錯誤の段階だ。サッカーの指導は難しい、小学生、中学生、高校生、大人への指導と、指導法はその年代ごとに違う。各年代に共通する大切なものがあり、この年代はこういうことを中心にやっていかなければ、ということはある。が、どの指導者も同じように教えて、同じことをいってしまう。その底流には、日本人の生真面目すぎる気質があると思う」「U−16年代でワールドサッカー体験を アジアで勝てないU−16代表、ユース年代強化の問題点を探る」『サッカークリニック』2002年、12月号、35、36頁
関西トレセンだけでなく、奈良県トレセンにも発足のころから3年前まで関わってきたが、いま、そろそろ一度見直す時期に入っているのではないか、と感じている。
県トレセンにおいて、ナショナルトレセンで実施された内容、伝達していこうという要素が多すぎると、マニュアル化しやすい。そのため、指導者が指導そのものに気を使い、もっとも重要な、選手たちが何を得たのか、どのように上達しているのか、というところから「焦点がズレる」ということが、起こりやすくなっているのではないか。一生懸命やっているとは思うけれど、あれもこれも教えないといけない、とオーガナイズに振り回されて、「選手の上達」という一番大事な部分が抜けてきているのではないだろうか、と思うことがある。
コーチング・ライセンスを取得する人が増えてきて、コーチングのメソッド、ノウハウが広く知られるようになってきた。そういうものに目を向ける人が増えてきた。だから、方法論を知っている人は多い。でも、実際にその方法が選手に有効なのかどうかより、ノウハウを多く知っていることが重要になってしまっている、という部分が出てきてはいないだろうか。
率直に言えば、見栄えのするトレーニングばかりになって、非常にシンプルで原始的とも言えるようなトレーニングを行なう自信を失っているのではないか。見ている人たちに「ライセンスを持っているのに、こんな簡単な練習しかしないの」と見られたくないから? でも、見栄えのする練習しかしてなくて、子供たちが本当に必要としている要素、子供たちの求める目的に達していない、というケースがあるのではないだろうか。自身の意見としては、シンプルなトレーニングも必要だと考えている。自分が選手のときにいきなり難しいことを要求されたら、できなかったと思う。
マニュアルというのは一つのやり方であって、それ以上のものでも何でもない。系統的にトレーニングしようという姿勢はいい。マニュアルも系統立てて説明されているから、理解しやすい。ただ、それはあくまで「ペーパー上」では、ということ。そこには「隙間」がたくさんあり、それを埋めていくのが、各指導者の経験なのだと思う。
例えば、プルアウェーのような動きを教えて、逃げることはできるけれど、フィジカル・コンタクトができない、あるいは、スクリーニングという体を半身にしてボールをキープするという動きを覚えて、隠すことはできるけれど、相手の目の前にボールを置いて戦うことを忘れてしまう、とか教えていく中で選手はこういうことができるようになったが、逆にこういう問題が出てきた、といったことを指導者はチェックしながら、対応していくことが重要だろう。
マニュアル通りに進めるのではなく、こういうことをし過ぎたから、こうなったんじゃないか、とつねに考えながら、次のトレーニングで修正していく。日々の選手たちの動きを自分の目で見て、考えて、検証していく作業の中から生まれてきたものは、マニュアルでも何でもない。そうした経験を増やすことで、マニュアルの「隙間」を埋めていくことができるのではないか。
上間政彦(奈良育英サッカー部監督)「The voice from field vol.6」『サッカークリニック』2004年1月号、70、71頁
昨年、U-15のトレーニングを見学にいったときも、「日本代表に選ばれる選手のなかにも、まだ基本技術でしっかりできていない部分があるな」と感じた。U-15の須藤監督と私は同い年だが、練習後に話をしていると、須藤監督も何かを感じ取っているものがあるようだった。なぜ、こうした傾向が生じてきたのだろうか。その原因を考えると、一つには、昔はトレーニング理論に関する情報が少なかったという要因があるのかもしれない。情報が少なかった時代は、年間を通じて基本的なトレーニングを、気長に、繰り返し行っていた。それによって個人技術の土台がしっかり作られていったのではないだろうか。現在は、情報に恵まれている。ある部分では、情報過剰といえるかもしれない。そのため、指導者も「卒業するまでにあれも教えなければいけない、これも習得させなければならない」と焦ってしまうのではないだろうか。
「藤枝東サッカー部 パスサッカーへの取り組み 服部康雄監督に聞く」『サッカークリニック』2003年6月号、13頁
トレセンはかなり昔からあったのだが、90年代半ばに加藤久が強化委員長になって大幅に改革され、現在のスタイルになった。強化指導指針、用語の統一も加藤久の仕事。
以下の事例はトレセン、強化指導指針とはまったく関係ないオーバーコーチングの例。
トルシエ前監督が最終ラインを極端に上げ下げするフラット3を採ったことで、少年サッカーやユース指導者たちの間には、「ラインを上げる=コンパクト」という考えが瞬く間に広がった。それが“弊害”を生み出していると井田監督は指摘する。
「最近の小学生や中学生の大会を見ていると、『ラインを上げろ』と指導者にいわれ、ハーフラインくらいまで最終ラインを上がるチームがかなりある。ハーフライン全部を空けて守っているケースさえある。それなのに、子供たちはマークやカバーの原則がしっかりできていない。だから結局は守りきれていないのがほとんどだ。流行を追い求める指導者の多くが『戦術がよければ勝てる』と勘違いしている。やはりサッカーは個人個人の力量がベース。少年のうちは徹底してテクニックを磨き、同時にマークの基本やチャレンジ&カバー、つるべの動きななどの基本をしっかり吸収させるべきだ」「3バックシステムを考える インタビュー井田勝通」『サッカークリニック』2003年3月号、37頁
幼稚園生では、最初に、ボールで遊ばせることから指導をスタートする。チームの指導法について村上氏は次のように語る。 「最近では、幼稚園でも大会が多くなってきた。試合を見ていると、4−3−3とかフォーメーションを決めているチームがある。ディフェンスがボールを追っていくと、指導者が『そこまで行ったらダメだ。ポジションをしっかり守れ』と指導している。サッカーは団体競技ですが、ベースとなるのは個人の技術。小学生では戦術より技術を高めていくことが大事でしょう。ウチは、幼稚園から2年生の初めごろまではダンゴサッカー」
石田英恒「全国のジュニアサッカー あざみ野FC」『サッカークリニック』2005年3月号、59頁
トレセン、強化指導指針ではフォーメーションや、DFラインの極端な上げ下げ、などについては触れていないはず。だから小中学生のチームのトルシエもどきのディフェンスラインと幼稚園のオーバーコーチングに強化指針、トレセンは無関係。
オーバーコーチング(教えすぎ)は60年代からおこなわれていた
「いまの子どもは、サッカーを教えられすぎて、嫌いになり、バーンアウトしてしまうことが多い。当時の自分は毎日サッカーに飢えていた。いまでは、そのような気持ちにしてくれた小・中学校時代のコーチたちにとても感謝しています」
平野淳「Jの舞台から世界のコーチングフィールドへ 元Jリーガー・栗原克志のイングランドでの挑戦」『サッカークリニック』2004年11月号、53頁
元ジェフ市原で現在はアルビレックス新潟シンガポールのコーチをしている栗原克志。この人は1977年生まれ。80年代に子供だった世代からみて、今の子供は教えられすぎのようだ。しかし、80年代よりももっと前からオーバーコーチングは問題視されていた。
日本の子どもサッカーは、大人なみの技術と戦術を駆使してブラジルや西ドイツの少年チームに大勝したりします。だが大人になるにつれ下手になる。ズバ抜けたスターがいなくなるのは、なぜでしょうか。
結論を先にいうようですが、日本の選手は教えられすぎではないかと私は思うのです。サッカー・スクールでは大体において静止した段階から考えます。パスはこうする、ストップはこうするという風に…。しかし、これは実戦とはほとんど関係がありません。少し個人技がうまくなってくると試合のかけ引きや作戦まで教えます。が、実戦では教えられた通りやっていたのではほとんど役に立ちません。相手はこちらの思う通りに攻めてくれないからです。常に裏をかかれる、それがサッカーです。
サッカーといわずスポーツは、選手自身が考えるべきものなのです。プロボクシングの有名なコーチ、タウンゼントさんはこういっています。「コーチが教えるのは四つだけヨ、あとの六つは選手自身に考えさせるヨ」と。サッカーも同じで、グラウンドに出れば、コーチもだれも助けてくれません。自身で考えるしかない。自分で考え行動することによってのみ勝てます。考えることのできる人、それが名選手です。
中条一雄「サッカー時評」『サッカーダイジェスト』1980年3月号、124、125頁
1980年の3月号に書かれたことだから、70年代に「教えすぎ」はあったようだ。サッカーダイジェストは1980年の2月号が創刊号。このコラムは連載の第2回目。「教えすぎ」問題は中条氏が書きたかったことのかなり上位だったのだろう。
中盤でボールを持つ。すぐとなりの味方に渡して走る。三角パスが帰ってきて、コーナー近くからセンタリング、ゴール前で、胸で落としてシュート。まだ小学生だから、力強くはないけれども、実にきれいだ。絵にかいたようだ。
「まるで釜本だな」と日置記者。
「技術的なことは、藤枝東高の長池先生にきくといいぜ。藤枝東のクラーマーだからな。藤枝東高を十一年教えていて、全国高校選手権で優勝させたひとだ」とぼく。
長池先生の話は、
「チームプレーはうまい。うますぎるくらいだが、型にはまり過ぎているのではないか。試合中に“逆に振れ”というような指示が聞こえるけれども、逆サイドにボールを回すには、三十メートルのパスをける力と、三十メートルとんできたボールをぴたりと止める技術がいる。それだけの力と技術を、小学生に期待できるだろうか。それに、ドリブルをしないな。ドリブルを罪悪視しているみたいだ。子どものサッカーはもっとこねまわしていてもいいのではないか」
この話を、長池先生は閉会式のあとの講評でも繰り返していた。牛木素吉郎「びっくりした少年サッカー 藤枝市の少年サッカー大会をみて」『サッカーマガジン』1969年4月号28、29頁
1969年はメキシコ五輪の翌年。1960年代は、ごく一部の街でのみ少年サッカーが盛んだったが、そこではすでにオーバーコーチングがおこなわれていたようだ。サカマガの69年4月号より古い記事はまだチェックしていないので、60年代前半、50年代については今後調べる予定。
60年代から指導者は教えすぎていたが、1993年のJリーグ開幕以降、特に加藤久が強化委員会でトレセン等を改革してから、指導法、戦術などの情報があふれるようになり、それ自体では教えすぎにはつながらないのだが、指導者がそれらの情報に必要以上にこだわり、踊らされてしまい、より教えすぎるようになってしまったとみるのが正しいのかもしれない。
オーバーコーチング(教えすぎ)批判への反論
教えすぎ、と批判された側の反論も紹介しよう。ちなみに清水FCは70年代にドイツ遠征をして連戦連勝、ブラジル遠征でもパルメイラスのジュニアチームにPKで勝利。
清水FCの強さを指して、「あのチームは教えすぎだ。子どもはもっとのびのび遊ばせておけばいい」と批判する声がかなり頻繁に聞かれる。少年サッカーでは、細かい戦術なんか教えることはない、教えすぎると小さくまとまった選手しかつくれないよ、子どもの自由な発想を殺してしまう、そんなような意味のことをいうのである。たしかに子ども時代に遊びが必要なことは分かるけれど、教えすぎだという批判には同意できない。清水FCのブラジル遠征で感じたことは、日本の子どもたちでも技術的に十分通用するということ。ブラジルの小さなクラブとなら互角以上の戦いができた。ところがそういうブラジルのチームの中にも、ひとりかふたり必ず飛び抜けてうまい子どもが混じっている。そうした全国に散らばっているうまい子どもが、次にステップで選り抜かれ厳しい生き残り競争をし、また次のステップで絞り込まれていく。そうしていくうちに、ブラジルのトッププロに優れた選手が集められていくのだろう。とても日本には真似できない層の厚さを痛感させられた。ヨーロッパでもブラジルと同様で、サッカーの底辺が非常に広く、また整備されている環境では、それほど子どものことに手をかける必要はないかもしれない。まわりにお手本となる優れたサッカーがあるのだから、子どもたちは自然と洗練されたプレーを身につけられるのだ。そういう中で出てくるはずのずば抜けた選手を拾い上げていけば、大人になって強いチームができるようになるのだろう。
だからといって、日本が同じような育成方針をとればいい、ということにはならない。日本には南米やヨーロッパのように、身近に優れたサッカーがないのだから、やっぱりひとつひとつのプレーを教えてやらなければ、子どもはどうやってうまくなるのか。
「清水の子どもはもう出来上がってしまった選手だから、将来的に物足りないよ、それより田舎の荒削りな選手のほうが将来的に魅力がある」
そういう意見もよくあるけれど、それじゃ荒削りな子どもがいったいいつ、ちゃんとみがかれるのかといいたい。田舎でいくらうまくても、うまい下手は相手との力関係でしかないから、地方の低いレベルでうまくても全国レベルにきて通用するかどうかは、別問題である。不自由な環境で荒削りに育った子どもは、そのままいけば荒削りなだけの選手で終わってしまう。やはり、教えるべきことはきちんと教えていくべきなのだ。子どものときに教えておかなくてはならない基本的な技術というのは、局面を打開していくプレーである。そのベースになるのは、きちっとしたボールコントロールだ。まずしっかりボールを止めて、それから相手をどうやって崩していくか、アイディアの豊富さも必要だし、それを実行できる技術も伴わなければ、個人の能力で局面を打開することはできないし、味方を使ったコンビネーションも生まれてこない。局面の打開能力を身に付けさせるのは容易なことではない。選手をほったらかしにしておいて出来るものではないのは当然で、やはり練習中に個々の選手に合わせたアドバイスをする必要があるのだ。よく日本の指導者に見かけるのは、こんなタイプ。選手に練習をさせている間、自分は椅子に座って黙っているだけ。なにも指導しない、ところが、試合になると急に雄弁になって、あれこれとうるさく注文をつけ始める。
「どうしてこういうプレーをしないんだ」
とゲキを飛ばすのである。
逆ではないだろうか。
練習で教えないものを試合でやれといっても、出来るようになるはずがない。試合中、指導者は黙ってプレーを見ているべきである。個々の選手についてどんなプレーが出来て、何が足りないのかをチェックするのが、試合の目的だ。そして、不足している能力を高めてやる練習をやらせて、ひとりひとりに適切なアドバイスをしていく。こうしなければ、選手はいつまでたっても伸びていかないだろう。望月保次『清水エスパルス 王国のスター伝説』イースト・プレス、1994年、129、130、131、132頁
望月氏の意見の是非はともかくとして、こんなに長い反論の文章を書くのだから、「教えすぎ」批判はそうとうあったのだろうと想像出来る。ちなみに、望月氏はのちにこんなことを言っています。
最近の選手が精神的に淡白になったように感じられる原因の一つには、練習方法がたくさん紹介され、トレーニングに関する情報が氾濫しているなかで、「決められたメニューをこなしていけばいい」、「表面的に順調に進んでいけばいい」という風潮が出てきたことが影響しているのではないだろうか。これは選手ばかりでなく、指導者全体が、もっと反省しなければならないことだと思う。指導者も、限られた練習時間のなかで、「あれも教えよう」「これも伝えよう」としすぎるあまり、情報を与えることで満足している、あるいは、情報を与えすぎることだけで精一杯になっていることはないのだろうか。私は自戒を込めて、最近そう考えることが多くなってきた。若く、熱意があり、勉強熱心な指導者ほど、情報の多さに振り回されていることがないか、自分を見直す必要があるだろう。
「清水エスパルス・望月保次育成リーダーインタビュー」『サッカークリニック』2002年4月号、36頁


